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お休み期間のもろもろ 【下がってく編】 [精神科のこと]

 大っ変、ご無沙汰しております…。
 年が明けたら記事を書こうと思っていたのに、旧正月が過ぎ、節分が過ぎ、梅の花も咲き、花粉も飛散しまくりの3月、もう名実共にすっかり春です…。更新滞りすぎです…。冬眠していたわけではありません(したかったけど…)

 実は、1月末から2月の初めにかけて、インフルエンザにかかっておりました[もうやだ~(悲しい顔)]。インフルエンザに感染したのは生まれて初めてのことです。

 軽い咳がでて、風邪引いちゃったのかな~、と思っていたら、微熱→37度半ば→38度超え、と一日の間にみるみる熱が上がっていき、もしやこれはインフルエンザなのでは[exclamation&question]、と思ったら、案の定A型の陽性反応がでました。

 お医者様に、妊娠している、もしくは妊娠の可能性はありますか?、と診察の最初に聞かれました。あと3・4日で生理予定日という時期に罹患してしまったので、「現在妊娠はしていないけど、可能性となると分からない」、と答えました。不妊治療はお休み中だし、積極的にタイミングをとっているわけでもなかったので、妊娠はしていないだろうな、とは思ったのですが、全否定できることでもないですから…。

 解熱剤やインフルエンザ治療薬は胎児に影響がでる恐れがありますが、どうしますか[exclamation&question]、と聞かれました。どーするも、こーするも……。可能性の話なので、なんとも言えないよー、と答えに窮してしまいました。すると先生から「私だったら、もし妊娠していたとしても今回は諦めるでしょうね」とあっさり言われてしまいました[がく~(落胆した顔)]。薬を飲まなければ高熱が続いて妊娠は維持できないし、服用すると胎児への影響が気になるでしょう?、と言われ、全くその通りなんだけど、えーーー[あせあせ(飛び散る汗)]、という感じで…。

 とりあえず薬を処方してもらって自宅でCheck One fastを使って妊娠しているかどうか確認してみました。幸い陰性で、安心して治療薬を服用することができました(ちょっとがっかりしたのも事実でしたが…)

 1週間予定が丸つぶれになったり、熱でしんどい思いをしたり、色々と大変だったのですが、家族計画をするならワクチン打っとこ…、と痛感しました。待ち望んでいた赤ちゃんがもしこんなタイミングでやってきたら、やりきれない気持ちをずっと抱えていたことだろうと思います。

 インフルエンザはもう下火ですが、三寒四温でまだ寒い日もやってきますから、体調にはどうぞご注意ください…。

 



 さて、本題です…。

 昨年秋頃からメンタルが不調で、精神科を受診していました。そのことを含め、不妊治療を休んでいる期間に起きた一連の出来事を記録しておきたいと思います。

 一気に書くと長くなってしまうので、前編として【落ちてく編[バッド(下向き矢印)]、後編として【少しずつ上がってく編[グッド(上向き矢印)]に分けてアップしたいと思います。


【落ちてく編[バッド(下向き矢印)]
 

[8~10月]
 メンタルが不調になった直接のきっかけは、10月に行った自死遺族会でした。
 でもそれ以前の8月に、父に胃がんがあることが分かって、今まで感じたことのない、まるで心筋梗塞にでもなったんじゃないかと思うような、ズッキーンとした胸の痛みを感じるようになっていました。胃の摘出手術は成功したものの、摘出した胃のリンパ節に転移が見つかり、「5年後生存率」は60%と聞かされました。人によって捉え方は様々でしょうが、私にとっては「半分ちょっとの可能性しかないの[exclamation&question]」と思えて、愕然としてしまったのです。

 その後、不妊治療で10月に顕微授精を行い、桑実胚の新鮮胚を移植したものの陰性の結果に終わりました。また命を作ってなくしてしまった、という喪失感を感じていたのです。

 自死遺族会に行ったきっかけは、父の病気のことも不妊治療の失敗のことも、兄の死につながってしまっていると感じたからです。父の死期が近いのではないか、という不安が、兄が死んだ時と同じような思いをまたするのではないか、という恐怖を生んでおり、なくなった卵達の喪失と兄の喪失が重なっているように感じたのです。

 私はまだこの先生きていく予定なのに、全ての喪失が兄につながるようではいけないだろう、と思いました。兄の死とちゃんと向き合おうと決め、何か得るものがあるかもしれない、と思い、自死遺族者の分かち合いの会に行きました。しかし、そこでは作る必要のない、余計な新しい心の傷を作っただけでした……。

 素面の状態であれほどひどく取り乱したことはなかったと思います。大迷惑女でした。でも、参加者の中でお一人だけ、私が会話が出来る状態になるまでずっとそばにいてくれた年配の女性の方がいました。その方から言われた言葉が、今回のメンタルの「底」を抜け出す最初の糸口だったように思っています。

 「精一杯手を尽くしたのに亡くなる人もいれば、ついさっきまで元気だったのに突然亡くなる人もいる。誰が悪いとか、誰のせいとか、そんなことはないの。人の死はね、私達の手の届かないところにある神秘のものなのよ

 自分達の手の届かないところにある神秘、については不妊治療を通して実感していました。受精卵ができるか、着床してくれるかなんて、結局私達には分からない。どうすることもできない。生命の誕生と生命の終わりが「神秘」という言葉で結びついて、私に深い納得感を与えたのでした。兄を「逝かせてあげる」ことが、この言葉でやっとできるようになったのかな、と思っています…。

[11月]
 11月に、心と体を休ませたくて実家に帰省しました。
 しかし、結果から言うと私はこの時帰省するべきではなかった、と思っています。
 私が帰省した頃、両親は2泊3日の国内旅行から帰ったばかりで疲れており、夏に大きな手術を終えた父は一層体力がなく、抗がん剤の副作用で食欲もなく、気分も荒れて横柄で尊大な態度をとっていました。
 母もそんな父をなだめすかし、食べてもらえる食事を3食作らなければならないため、少なからず疲れていました。
 兄の死と向き合うことは、家族と向き合うことだ、ということに私は気づいていませんでした。メンタルが不安定になっている私は家族のことに対してとても敏感になっており、普段より荒れている状態の両親を目にして、「どんなことが起こってもこの人達は変わらないのか」、という勝手な怒りを噴出させてしまったのです(変わっていないのは私もなのにね……)

 本当は実家に帰省した時に精神科の先生に診てもらい、必要な検査をし、薬を処方してもらおうと思っていたのですが、あいにく私の都合と先生の診察の都合が合わず予約が取れなかったため、受診はしないで東京に戻る予定でいました。
 まるで家出をするかのように実家を出て東京に戻った後も、暴力的な態度は身近にいる旦那さんに向けられていました。やはり出来るだけ早く精神科の診察を受けなければと思い、診察の予約をとって再び岩手へ行きました。

 予約の電話をした際、担当の先生とは40分近く話をし、診察も多分小1時間はかかっていたように思います。忙しいのに時間をとらせてしまって本当に申し訳なかった…。
 診察では遺族会の話や両親とのこと、不妊治療のことなど一連の経過を伝えました。加えて、今一度心理検査を受けたいという私の希望も伝えました。以前、統合失調症の前駆状態だと診断されたことがあるけれど、今でもそうなのか疑問に思うことがあったからです。
 しかし、心理検査は事前の予約が必要ということで、この時はできず、脳や甲状腺の検査も希望したのですが、やらなくてもいいだろう、と言われました。
 今の症状が何の精神疾患にあたるのか、探っていくことで私が自分自身を追い詰めていくことになるし、家族計画を同時進行するのであれば、精神薬を使った治療をするよりも、抜けが早く依存性が少ない抗不安薬などで対処した方がいいだろう、ということなのです。また、検査をやったところで私が納得するのかどうか、先生は疑っていたようです…。

 病気ではないのかもしれない、と先生は言いました。私が話す内容を先生は理解できるから、ということなのです……。
 私はメンタルの治療をしながら不妊治療に取り組むために、東京の病院に転院したい希望も話しました。しかし、自死遺族者であるという特殊な事情を踏まえて診察してくれる病院はほとんどないだろう、と言われました。もしくは適当な診断をされて終わるか、どちらかでしょう、と…。
 一応、先生が知っているという、東京のお医者様の名前を教えてもらったのですが、クリニックの名前は分からず、紹介状もなく、次回の予約もなく、病状の確認をすることもなく、ワイパックスという抗不安薬の処方箋だけをもらってその日の診察は終わりました……。

 私は何をしに来たんだろう、という思いと、自分の行き場はどこにもない気持ちに覆われて、ふらふらと盛岡の街を歩いていました。

 その時、店先に貼られていたポストカードが偶然目に入りました。
 

にゃんともだいすき.JPG


 私には旦那さんがいたんだった、と思い出させてくれた。

いのちひとつ.JPG


 やっぱり東京に戻ろう、と思って、新幹線に乗って旦那さんのいる東京へ戻ってきました。


[11~12月]

 しかし、戻ってからも私の中の「暴れん坊将軍」は一向におさまらず、理由のない怒りの矛先は旦那さんに向けられました。暴れるに任せると感情はどんどんエスカレートし、コントロールする術も見つけられなかった…。
 喧嘩の内容はお互いのコミュニケーションのこと、普段の生活のことなど。私が一方的に怒って物を破壊し、旦那さんが謝るもしくはスルーする、という状態が続きました。

 そんな時、一度金銭のことで激しく衝突しました。

 私の精神科の治療は東京―岩手を新幹線で移動するため、とてもお金がかかっていること(一応、帰省に合わせるようにしているのですが…)、ここ数年は不景気の影響で収入が減っていること、不妊治療(東洋医学含む…現在鍼灸も受けています)で高額な医療費がかかっていること、お金の工面については旦那さんのご両親にまで影響が及んでいること、などを話されました。

 さらに、今後しばらくは旅行もしないように、と念を押されました。1年に1回とまではいかないけれど、夫婦二人で出掛ける旅行を私は楽しみにしていました。今はそんな場合じゃないでしょ、ということなんだけど、私の貯えで一人でふらりと出掛ける旅行もしてはいけない、とも言われました。私は旅が好きで、旅に出ることを禁じられるというのは、魂の自由をそがれるようなものなのです…。とにかく、旦那さんにとっては、「旅行=無駄遣い」という図式しか成り立っておらず、何を言っても無駄、という感じでした…。

 結婚してもうすぐ6年、今まで夫婦喧嘩といえば私が一方的に不機嫌になり、旦那さんが一方的に謝る、というパターンがほとんどでした。二人で本音を出して言い合う喧嘩をしたことがなかったのに、気持ちをぶつけ合う初めての喧嘩が金銭についてだった、ということに、なんとも言えない虚しさを感じたのでした……[もうやだ~(悲しい顔)]

 両親と諍いを起こし、旦那さんとも不和になったこの時期に、職場でも変化がありました。育休中だった私の友人が急遽退職することになったのです。友人の旦那様が長期で海外勤務になる、という理由だったのですが、首を長くして彼女の復帰を待っていた私はショックを受けました。
 そして、お世話になっていた上司の方が、定年退職を目前にして他の部署へ異動になる、という出来事もあり、それらと全く同じタイミングで仕事がすっかり暇になっていました。私はフルタイムで仕事をしているわけではなく、アルバイトというか、委託者のような立場で仕事をしています。今の職場を紹介してくれたのはその友人だったので、私も辞めた方がいいんだろうか、と思ったり、上司の方までもが部署からいなくなることで、後ろ盾のような存在だった人達が一気にいなくなる感覚にもなりました。
 (幸い今の上司の方や職場の方の厚意で、クビになることなく、現在も引き続き仕事をさせてもらっています…)

 すること為すこと全てが裏目で、八方塞がりな閉塞感を感じていました。目の前にある自分の人生の道がどんどんすぼまっていって、その内なくなってしまうような感覚に陥っていました…。

 しかし、年の瀬も近づいてきた頃から少しずつ上がっていく日々が始まります。救いようのない夫婦喧嘩が変化していき、自分自身を見つめて、気持ちを整理していく課程を迎えられるようになります。

 今回(というか、最近ずっとかもしれませんが…)くらーい話ばかりになってしまって申し訳ありません…。
 そんなことでメンタル下げるなよ、と思う方もいるかもしれませんが……[バッド(下向き矢印)]
 本当に、ダメなダメ子さんなんです、私…。

 次の記事からは多少明るい内容になる予定です[たらーっ(汗)]。といっても現在進行中で、良かったり悪かったりを繰り返してちょっっとずつ這い上がっていっている感じです。

 心から、春を実感できるようになりたいです……。

 …「少しずつ上がってく編」につづく 


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sachi

pawpawさん、こんにちは。
岩手の方では地震の影響が大きかったのではないですか!?
10日に更新してくださったから、次の日記が明るく上がっていくはずが、このたびの地震でどーんと下がってしまったのではないかと思い、pawpawさんがとても心配です。

東京の揺れも相当でしたね。pawpawさんやご主人も大丈夫でしたか?とにかく心配でたまりません。

ご家族の皆様の無事を心から、心から、祈っています。
by sachi (2011-03-14 17:01) 

いっち〜

pawpawさん震災で心配で訪問しました!!
大丈夫でしょうか?

pawpawさんのご無事と
岩手の復興を心よりお祈りしています☆

by いっち〜 (2011-03-21 13:16) 

pawpaw

>sachiさん、
お返事大変遅くなってしまってゴメンなさいm(_ _)m。
ご心配ありがとうございます。
お陰様で、私も旦那さんも無事で、岩手の実家も無事でした。
ただ、三陸の宮古市にいる叔父の安否が不明なままなのです…。
sachiさん、ご無事なようでよかったです。ご家族やお友達も大丈夫でしたか?
お察しの通り、上がっていく記事を書く予定だったのに、
どうしようもなく下がってました。。。(^^;。
私は直接の被災者ではありませんが、
新しく「喪失」を体験していると思ってます。
次の記事で書くことと少しかぶるのですが、
自分の意識を変化させて、乗り越えていかなければな、と思っています…。
by pawpaw (2011-03-22 21:36) 

pawpaw

>いっち~さん、
ご心配頂いて、ご訪問頂いてありがとうございました。
いっち~さんのところは大丈夫でしたか?
原発の放射線流出が気になりますね…。
私と旦那さん、実家もお陰様で無事です。
ただ、叔父の安否が依然不明で、ほぼ絶望視されています…。
私が生まれた町、住んでいたことのある町、遊びに行った町、
大切な町々がとんでもない被害に遭い、変わり果てた姿になって
とても胸を痛めています…。
復興までは簡単な道のりじゃないけど、
復興のために自分ができることを極力していきたいと思っています。
ありがとうございました。
by pawpaw (2011-03-22 21:42) 

とも

はじめまして。
ともと申します。2008年に結婚、夫が一年インドネシアに行っており、2009年から2年間不妊のともです。私は、卵管異常でFTを考え中です。最初の検査と診察の時に体外受精か、FTでしか無理です。自然妊娠は無理と、あっさりいわれて。。。へこにましたが、時は金なりと言いますので、好きな旅行を控えつつ。。。。ベビちゃんを迎えに行こうとしております。蒲田はおいしい餃子やさんがありますよね??練馬春日に住む、学生時代からのお友達に教えてもらいました。私も今不妊の事ばかり考えてしまいますが、これも必要なプロセスだと考えて明るく前向きに生きていこうと思ってま~す。
お互い、かわいいベビチャンに会えるようにふぁいと~ですね。
by とも (2011-04-11 13:00) 

pawpaw

>ともさん、
はじめまして、コメントありがとうございます。
新婚ですぐに旦那様が海外赴任、というのはとても大変なことだったろうと思います。
ともさんは卵管に不妊因子があるのですね。
FTのことを私はよく知らなかったのですが、健康保険適用の治療なんですね。体外受精と合わせて、最善の方法で赤ちゃんを授かりたいですよね。

蒲田にはおいしい餃子屋さんがたくさんあるみたいです。
私はまだ1軒しか足を運んだことがないのですが(^^;。
まだまだ未開拓でございます。。。

私は長すぎるくらい長く不妊治療を休んでしまったおかげで、不妊のストレスからはしばらく離れることができました。休みって必要だなー、と実感した次第です…。
私も自分(と自分の人生)にとっては必要なプロセスだったと考えています。100%べったり期待はしていないけど、諦めずに治療を続けていきたいと思っています!
お互いがんばりましょうね~。

by pawpaw (2011-04-14 20:52) 

tomo

pawpawさま~。
お返事ありがとうございます。
辛い気持ちを、丁寧に聞いていただけたので、とっても嬉しいです。
不妊治療は休みも必要なんですね~。pawpawさまが、ストレスから離れられて良かったです。またブログ拝見いたします(*^_^*)ありがとうです。
by tomo (2011-04-14 22:04) 

pawpaw

>tomoさん、
すっかり遅くなってしまいましたが、こちらこそお返事ありがとうございます。
長い休みのおかげで、また不妊治療に取り掛かろうという気になれましたよ。。。
お互い良い結果になりますように!
by pawpaw (2011-04-29 10:35) 

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