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出産のこと [出産後]

 季節はどんどん巡って、もう梅雨真っ盛りになっています。いかがお過ごしでしょうか。
 お陰さまで私と赤ちゃんは産後も無事に経過しておりまして、もうすぐ生後4カ月、ようやく育児に少しずつ慣れてきたところです[あせあせ(飛び散る汗)]

 大分間が空いてしまって今さらな感じもするのですが[たらーっ(汗)]、今回の出産について記録を残しておきます。



 出産の1週間前から、(おそらく)マタニティ・ブルーの前兆が出ていました。頭の中で想定した通りに物事を運びたがる私は、まったくシミュレートできない自分のお産に対して無意識に過剰な恐怖心を抱いていたと思うのです。

 図書館で偶然見つけた一冊の本で少し気持ちが切り替わりました。

いつもみてるよ。がんばってるの、しってるよ。

いつもみてるよ。がんばってるの、しってるよ。

  • 作者: 326(ナカムラミツル)
  • 出版社/メーカー: Think D出版
  • 発売日: 2006/02/09
  • メディア: 単行本

 赤ちゃんはお腹から出てくるのにすごく大変な思いをしているのに、それでも「ママがんばれ~」、って応援してくれているんだ…。びくびくしてられないな、と思ったのです。

 いつでもこいっ[exclamation][パンチ] という気持ちになった翌日の早朝、破水しました。すぐに病院へ電話し、ナプキンをあて入院グッズを持って、タクシーで旦那さんと病院へ。陣痛が起きておらず子宮口も1.5センチほど。でも完全破水しており、感染症の恐れがあるので、病棟に入院して陣痛が来るのを待つことになりました。

 通常、破水してから24時間、どんなに遅くても48時間以内には陣痛がくる、と言われ、明日・あさってには赤ちゃんと一緒なんだね~、なんてのんきに構えながら入院初日を過ごしていました。

 破水してちょうど24時間経過した頃に陣痛らしきお腹の張りと痛みがあり、朝7時のモニタ(NST)で再度確認できたら陣痛室行きになると思う、と言われました。しかし、モニタをつける頃には遠のいてしまい、陣痛室行きにはならず…。
 抗生物質の薬を飲んでいるし、羊水の色も変化はなく赤ちゃんは元気、と言われていたけれど、「大丈夫、そのうち出てくるさっ[るんるん]」と、どーんと構えることができませんでした。お外の世界とつながっている以上、赤ちゃんが感染症を起こす可能性は高く、なんとしても早く出してあげなければ、と焦って、気持ちに余裕をなくしていたのです。
 病棟の中をぐるぐる歩いたり、地下の売店から8階の病棟まで階段を昇ったり。消灯後にもベッドのわきでスクワットをしていました。

 そうこうしている内に48時間が経過。ちょこちょこと陣痛のような痛みが起きるのですが、遠のいてしまったり規則的ではなかったりして、結局陣痛室へ行くことはありませんでした…[ふらふら]
 当然来るはずの陣痛が来ない、というだけで、私の気持ちが乱れるには十分でした。しかも、じゃばじゃば流れていた羊水の量は減り、逆に出血の量が増えてきて、赤ちゃんが本当に無事なのかどうか心配で、気が気でなくなっていました。
 同じ病室にいる赤ちゃんの泣き声を聞くと、自分はこんな風に赤ちゃんと一緒に過ごすことは出来ないのかもしれない、と(得意の)マイナス思考が働いて、勝手に涙が流れてくるようなありさまで…[もうやだ~(悲しい顔)]

 陣痛促進剤を使わずまだ様子を見る、という方針を聞いた時、もう我慢が出来なくなってしまい、どうして赤ちゃんが元気なうちに促進剤を使わないんですか、と泣きながらごねてしまったのです。 
 結局方針変更となり、午後から陣痛促進剤の点滴を打つことになりました。ただし、私の場合お産が進まない原因の一つに産道が硬い、ということがあり(軟産道強靭症)、最初に産道を柔らかくする目的がメインの点滴をし、翌日の午前から通常の陣痛促進剤を使用する、と説明を受けました。

 点滴の針がささらないトラブルもあり、一本目の点滴が終わったのは夜22時頃。陣痛は多分起きないから病室へ戻るように言われたのですが、わがままを言って点滴を受けていた陣痛室でそのまま過ごさせてもらいました。

 日付が変わった頃から、起こらないと言われた陣痛が起き始め、ものすごい勢いのいきみが加わって呼吸法で逃すことができなくなりました。パニックに陥り、思わずナースコール。看護師さんに、とにかく息を長く吐くこと、長く吐けなくても小刻みでいいので息を吐き続けるように言われました。唇がかっさかさになるくらい息を吐いていたのですが、どうしても吐き切る前にお腹に力が入ってしまい、うまくいきみを逃すことができません。一旦自宅へ帰りそろそろ就寝したであろう旦那さんを再度病院へ呼び出し、お尻のあたりを押さえてもらってなんとかこらえることができるようになりました。

 子宮口の開きはいきみが加わってから4cm→8cmと順調に広がっていったのですが、9.5cmと言われたところでぱったり止まってしまいました。全開の10cmにならないと分娩台へは上れない、と言われ、いきみ逃しをひたすら何時間も続けるはめに…。息を吐くのに疲れて、いきみを逃すことが出来なくなっていました。私は聞き苦しい声を発するようになり、旦那さんも寝ながらお尻を押さえている状態。頼むから分娩台へのせてくれー[もうやだ~(悲しい顔)]、と心の中で叫びまくっていたのですが、朝になって夜勤の先生が診たところ子宮口は8cm、陣痛も規則的ではないと言われ、分娩台へはまだまだ上げられない、と言われてしまいました[もうやだ~(悲しい顔)]。結局、予定通り2本目の陣痛促進剤をうち、そのまま様子見になりました。

 点滴が始まったら終わるのに半日はかかるんだよなー…、もうこれ以上いきみを逃すのは無理っす…[もうやだ~(悲しい顔)]、と思ったのですが、すぐに分娩台へは上れないのだ、と諦めの気持ちもついて、少し冷静さを取り戻すことが出来たように思います。
 2本目の点滴が始まって陣痛が規則的になったせいか、頑張って息を吐く時間とリラックスする時間を交互に繰り返すことが出来るようになっていました。

 交代した日勤の先生に内診してもらうと、子宮口はまだ全開ではないけれど、分娩台でいきめば開きそう、と判断してくれ、午前9時過ぎに待ち焦がれた分娩台へ上れるようになりました。いきみを逃がすために何度か立ち止まりながら分娩台まで歩いているうちに、子宮口は全開になっていました。

 赤ちゃんの降りっぷりもすごくいいし、30分もいきめば出産になるでしょう、と言われ、私も実感としてそうだろうと思っていたのですが、どんなにいきんでも赤ちゃんが出てこない[ふらふら]。どうすればいいの[exclamation&question]と、またパニックになりそうだったのですが、陣痛の合間にリラックスすることを思い出し、意識してリラックスするようにしてみました。

 分娩台の周りにはいつの間にか色んなスタッフの人が集まっていて、その内の一人の方(実習生の教官の先生?)に 「重い荷物を持つように足を踏ん張ってー[exclamation]」と声をかけられ、その通りにしてみるとお産がぐんぐん進んでいきました。

 赤ちゃんの頭が出てきている頃に「もうすぐ出てくるから見ていてね」と、立ち合いで傍についてくれていた旦那さんに言われました。全力でいきむとどうしても目をつぶっていたのですが、そう言われて目を閉じずに脚の方を見るようにしていました。
 すると、赤ちゃんがにょろ~~~ん、とまるでダイビングするかのように脚の間から飛び出してきました。その瞬間を見た時、分娩の苦しみやら疲れやら、何もかもが全部ぶっとぶ思いがしたのです。

 生まれてすぐの赤ちゃんを一瞬抱かせてもらって、初めて語りかけた言葉は「頑張ったね[exclamation×2]」の一言でした。その後、「生まれてくれてありがとう」と言いながら、ポロポロ涙をこぼしていました…。

 赤ちゃんは計測と体の洗浄で別室へ行き、私も第二の分娩=胎盤さんの剥離と、会陰縫合の処理をしてもらっていました。先生に丁寧な仕事をしてもらったせいか特に痛みもなく、こちらのほうのトラブルは全くありませんでした。

 真っ白な肌着に包まれてピカピカの体になった赤ちゃんが分娩室に戻ってきて、分娩台の上で安静にしていた私の隣にやってきました。分娩室の窓からは、この日の快晴だった青空が見えて、そこから差し込む光で赤ちゃんの顔がピカピカ輝いているように見えた。あの時の満足げな赤ちゃんの表情、私は忘れることができません[ぴかぴか(新しい)]

DSC_20120221_130314.JPG

 分娩が終わったら号泣するのかな、と思っていたら、案外そんなことはなくて、こみ上げてくる幸福感に終始にこにこしっぱなしでした。このeuphoriaに浸りすぎると後が怖いんだよなー…、と思いつつも、止めることができなかった。分娩台の上で過ごしていた時間はあまりにも幸福なものでした。

分娩後3人の手.JPG

 わたしも旦那さんも、疲労困憊した出産だったけど、赤ちゃんに手を握ってもらっていた時、私と旦那さんと赤ちゃん、3人で成し遂げたんだな…、と実感できたのでした。

 

 その後、病室で休んでいた時に担当医の先生から聞かされたのですが、分娩後の胎盤をみたところ、通常胎盤の真ん中あたりから出ているへその緒が、胎盤の縁の方から出ていたというのです。圧迫による影響を受けやすく、酸素や栄養が届かなくなるリスクがあったのだそうです[がく~(落胆した顔)](後に調べたところ、分娩時に仮死状態で生まれてくる赤ちゃんもいるようです)。それにもかかわらず出産まで元気だったこと、胎盤の位置が上がったことと併せて、「とにかく、強運の持ち主[exclamation]」と言われました。

 へその緒の出てる位置って、分娩後じゃないと分からないものなんすか?(-_-;、と正直思ったのですが、確かにこの子は強運の持ち主なのかもしれない、と納得したのでした。

 出産後、新生児室へ面会に行った時、コットの上ですやすや寝ている赤ちゃんを見て、「無事に産まれてきてくれてありがとう…」、って、何度も何度も心の中で語りかけていました。

 

 出産の約2か月前、切迫早産で入院していた時は、廊下で赤ちゃんをのせたコットを押すママさん達とすれ違うたびに、私もこんな日を迎えることが出来るんだろうか、と不安に思っていた。今は誰もいない私がいた病室の前で、2か月前の自分に呼びかけていました。

大丈夫、あなたと赤ちゃんはちゃんと頑張れて、今一緒にいるからね…




 こうして40w0dという、予定日ぴったりの日に我が子は誕生しました。
 「思い通りになんていかない人生の始まりだよ」と、妊娠した時に思っていた。低置胎盤で転院、というあたりから想定外の連続で、まるで「お前の覚悟は本物なのだろうな[exclamation&question]」と、問いかけられているかのような妊娠・出産でした[あせあせ(飛び散る汗)]

 それと、今回のお産で痛感したのはリラックス」を忘れたら何もかもうまくいかなくなる、ということ。きっと私のこれまでの不調の数々はリラックスを忘れていたせいなのではないか、とさえ思ったのです。妊娠・出産したことで、これまでの自分の悪い癖も気付かされたように思います。

 想定外が続くのも、リラックスを忘れてしまうのも、実は産後の赤ちゃんと一緒の生活が真骨頂、ということを、私はその後知るわけなのですが。。。[ふらふら]  

 大変じゃない出産が一つもないように、大変じゃない産後もないんだろうなー、と思います。。。

 次回、出産後のことや近況を記録して、締めの記事を書きたいな―、と思っています…。
 (多分、また間があくことと思われます。。。[あせあせ(飛び散る汗)]


タグ:出産

無事に出産しました [出産後]

 まずはご報告が遅れていることをお詫び申し上げます。。。

 2月21日(40w0d)に男の赤ちゃんを出産しました。
 お陰さまで帝王切開ではなく普通分娩で問題なく出産でき、母子手帳に記入された出血量も「少量」と、懸念していた大量出血は起こらず、母子ともに無事で退院することができました。

 赤ちゃんは3276グラムと、いつの間にそんなに育っていたの[exclamation&question]と思うほど大きく、他の赤ちゃんと並ぶと大きさがひと際目だっていました[あせあせ(飛び散る汗)]

 出産まで足掛け4日かかったそれなりの難産となり、体力の消耗が激しくてなかなか記事をアップできずにいました。
 今回は取り急ぎ出産のご報告まで…。
 出産の経緯などはまた追って(いつになるのかな~[たらーっ(汗)])アップしたいと思っています。。。

 ご心配、お祈り頂いた皆さま、本当にありがとうございました。
 心から感謝しています[ぴかぴか(新しい)] 


タグ:出産

退院してからのこと [妊娠後期]

 厳しい寒さが続いています。いかがお過ごしでしょうか。
 お陰さまで妊娠37週を迎え、安静生活が解除になりました[わーい(嬉しい顔)]

 30週に切迫早産で入院した時に助産師さんに言われていたのは、なんとか32週まで頑張ってください、ということ。赤ちゃんの肺が出来あがるのが32週末で、呼吸器系疾患になるリスクがグンと下がるから。その次は34週。肺に水分がいきわたるようになり、赤ちゃんが自力で呼吸できるようになるから。そして36週末になれば他の臓器も十分成熟するので、赤ちゃんがお外でもちゃんと生きていける状態になります、と。
 目標を一つ一つ乗り越えていって、やっと37週までくることができました…(T_T)。感慨深いです。1週1週乗り越えるのが本当に大変だった。。。

 もう一つお陰さまで、胎盤の位置が上がって「下からの分娩」が可能になりました[わーい(嬉しい顔)]。入院中の診察時から胎盤が上がってきている、と言われていて、退院時の診察では子宮口から2cmの位置まで上がっていました。
 その後、退院してからの診察では、見える範囲にない、と言われ、子宮口からの必要な距離(2.5cm以上と言われています)よりは上にあるようだ、と言われています。

 ただ、普通より低いことに変わりはないので、分娩の初期に大量出血が起こる、とか、少しでも異常があったらすぐに帝王切開に切り替えます、とのこと…。

 普通分娩が可能になったら転院前の病院に戻れるよう分娩予約を残していたのですが、大量出血になった場合、輸血用血液は大学病院の方が多く確保しているはずだから、ウチで出産してください、と言われました。
 なので、元の病院の分娩予約はキャンセルしています。残念は残念ですけど…。
 でも、切迫早産での入院生活を通して、「不測の事態」というのを身近に感じたし、万が一そうなった場合でも、この病院なら十分対応してもらえそう、という信頼感があったので、私の方としても、胎盤が上がっても上がらなくても大学病院での出産をお願いしようと考えていました。

 ということで、大学病院で普通分娩にチャレンジ、と方針が決まったところです[るんるん]

 

【安静生活】

 入院時も含めると、1か月半もほとんど寝たきりの生活をしていました。
 
 退院する時に条件にされていたのは、基本的に病院と同様の生活をすること。
 トイレと洗面以外は横になっていること、家事はしない、階段は極力使わない、バス・電車を使うような外出はしない。湯船の入浴はしてもいいけど熱い湯・長湯を避ける、という生活です。

 幸い、旦那さんが休みの日は旦那さんが家事をしてくれ、平日は旦那さんのご両親が交代で泊まりに来て家事をしてくれたので、安静生活を続けることができました。

 自宅での安静生活もそれなりに辛くて、したいことができないジレンマとか、誰かに頼まないと何もできないフラストレーションとか、 積もり積もって、私だって好きでこんな生活してんじゃないのよー[ちっ(怒った顔)]、と爆発を起こしたこともしばしばありました…。

 自分の欲求を満たすことが今の私の大事じゃない、と自分に言い聞かせていました。赤ちゃんにお腹の中にいてもらうことが大事なことだから、と…。

 同時に思ったのは、赤ちゃんはしてもらいたいことがあっても言葉で伝えることができない、ということ。私は動けなくともしてほしいことを口で伝えられるけど、赤ちゃんはそれができない。それってなんて不都合なことだろう、と思いました。胎内の環境とお外の環境は全然違くて、慣れないこと、不快なことだらけだろうと思うのに、訴える術が泣くことしかないなんて。
 多分、なんで泣いているのか分からないよ~[あせあせ(飛び散る汗)]、って私も絶対なると思うんだけど、不自由な身を多少経験したからには、赤ちゃんの欲求がなんなのか考えて、満たせてあげられるように心がけたいな、と思いました…。
 

 安静期間中にしていたことは、主に赤ちゃん用品のチェックと名付けを考えることでした。特に入院中は腐るほど時間があったので、病院にあるレンタル用品のカタログを看護師さんに頼んで持ってきてもらい、かたっぱしから眺めてチェックしていました。名づけも、早く生まれるかもしれない、と思った時から名づけ本などを読んでいたのですが、ピンとくる名前が一つもなかったのです[あせあせ(飛び散る汗)]。入院中に赤ちゃんと向き合う時間がとれて、じっくり考えることができたように思います。

 お腹の張りが強い時には完全に横になっている姿勢じゃないと辛くて、そんな時は音楽を聴くことくらいしかできませんでした。本も軽い文庫本のようなものじゃないと持っていられなくなるのです。
 退院して、旦那さんが私の代理でスマホをゲットしてくれてからは、完全に横になっている姿勢でも色々なことが出来るようになって大分楽になりました[わーい(嬉しい顔)]。 良い時代になったものです。。。

 晴れて安静がとけて、体力をつけるために動いてください、と言われているのですが、一番お腹が大きくなっていく時期を寝て過ごしていたので、私の骨盤?やら体力やらが「動く生活」に全然ついていけてません[ふらふら]。立ったり歩いたりすると腰が砕けそうなくらい痛くなってしまいます…。動く→腰が痛くなる→横になる→疲れてぐったり→寝る→起きる→動く→腰が痛くなる…、と、一日中これの繰り返し[もうやだ~(悲しい顔)]。まだ思うようには動けません。近所のスーパーへ買い物に行くにも、今はまだちょっとした冒険です。

 

【37週の健診で】

 36週を過ぎてから、健診の頻度が1週間に1回になりました。

 赤ちゃんは変わらず元気で、推定体重は既に2800gを超えています。週数的にも体重的にも、いつ生まれてもいい状態、とのこと[わーい(嬉しい顔)]

 内診で子宮口が1cm開いてきている、と言われました。赤ちゃんも骨盤の中におりてきているそうです。確かに胎動を感じる場所が変わってきていて、今までは横隔膜とか肋骨のあたりを蹴り蹴りされていたのが、今は胃の下の方とか、おへそ近辺を蹴り蹴り・ぐに~っとされるのです。
 ちなみに、赤ちゃんが骨盤におりてくると胎動が少なくなる、と聞くのですが、うちの暴れん坊将軍はそんなことはなくて、あたしの体はサンドバックか[exclamation&question]、と思うほどにキック&パンチをくらわしてきます(特に夜…)。

 36週の時に妊娠後期の血液検査用の採血をしたのですが、内臓の機能や血液の凝固など特に異常はないそうです。

 輸血が必要になった場合の書類も目を通して署名を済ませてあり、担当の先生から旦那さんの立ち合いの許可書ももらい、赤ちゃんが生まれた後に必要な各種検査の申込書も準備をし、書類の上でも準備万端な感じです[手(グー)]。 

 


【出産目前…?】 

 もうそろそろ「その日」が近いのかなー、と思っている今日この頃です。
 妊娠してから約10カ月…。とても長く感じた時もあるけど、短かったような気もします。

 2011年を終わる時に感じたことは、「終わり」を大事にしていこう、ということです。
 2011年は私にとってたくさんの変化があった年で、一つ一つの変化に「終わり」があったと思っています。

 終わりを迎えるまでのことを振り返ってじっくり味わうこと、感謝の気持ちを持って終わりを迎えること、今までなかなかできずにいたことだったように思うのです。終わりに対して納得する気持ちを持つ、ということなのかもしれません。

 今も終わりの時期を迎えようとしています。
 お腹に赤ちゃんがいてくれることの終わり、夫婦二人だけの生活の終わり、自分のことばかり考えて気ままに生きてきた日々の終わり…。それぞれに対してちゃんと向き合って、満足して、新しく始まる赤ちゃんとの生活を迎えられたらいいなー、と思っています。

 とはいっても、普通分娩にチャレンジできる、となってからは特に、出産時の痛みってどんだけすごいんだ、とか、採血される自分の血をみるのも嫌な人なのに、出産時の大量出血に遭遇したらどうなってしまうんだ、とか、そんなことばかり考えてしまいます…[もうやだ~(悲しい顔)]

 おっ母になるんだから、どーんと構えてなきゃダメなのにね。痛みとか、不安・恐怖に飲み込まれない冷静な気持ちが必要なのかな~、と思っています。

 

 でも所詮、自分の思っている通り・計画している通りに、ことは進まないものだから。。。

 


 出産までの日を、大切に過ごしたいと思っています。

 

 暦の上での季節は春になっても、寒い日が続いてインフルエンザが流行っています。お体どうぞご自愛ください~[かわいい]


転院してからのこと [妊娠後期]

 なんと今、妊娠10カ月に入っています。いわゆる「臨月」というやつです。
 来週に入れば赤ちゃんがお外で生きていける状態での出産となる、 「正期産」になります[ぴかぴか(新しい)]。もう「早産」ではなくなるのです[exclamation] 私の目下の目標は、なんとか正期産まで赤ちゃんにお腹の中にいてもらうよう、ひたすら安静にしていることです。。。

 転院してからのことを全く記事にしていなかったので、先にその記録をしておきたいと思います。

27w1d

 出産予定だった近所の病院で、低置胎盤であることを理由に周産期母子医療センターになっている大学病院への転院を指示され、紹介状を持参して大学病院の初診を受けに行きました。 

 待たされるのを覚悟していたのですが、産婦人科外来で受付をして1時間強ほどで問診室へ呼ばれ、それから40分後には診察を受けていたと思います。

 高度生殖補助医療を経ての妊娠であること、精神科での治療歴があること等々確認があって、最初に経膣の超音波検査を受けました。カーテンは閉まったままでモニタの画面を見ることが出来ず、先生とお付きの先生達で何やらごちゃごちゃ話しているのですが、何を言っているのか分からず…。何か良からぬことがあったのではないか、と思って、半分泣きそうな気分でした。

 検査が終わって、カーテン越しに先生とお話をしたのですが、胎盤の位置は子宮口から1.8cmと言われました[目]。前の病院では0.8cmと言われていたんですが、と言うと、測り方が違う?とかなんとか…。うちでは角度をつけて測ってるけど、多分直線距離を測ったんだろうねー、と言われました。病院によって測り方が違うということがあるのでしょーか。。。

 さらに、「胎盤の血流が良すぎるんですよ」とも言われました。「だから、出血しちゃったら大量になるだろーねー」とのこと…。胎盤の血流がいいのは本来的には良いことなのでは~?[もうやだ~(悲しい顔)]、と思っていると、「いいんだか悪いんだか、だね」と先生にも言われました[あせあせ(飛び散る汗)]

 「もし少しでも出血があったらあとはずっと入院になるから、そのつもりでいてネ」と言われ、長期入院と、早くに赤ちゃんを取り出す可能性を認識しました。

 続いてお腹の上からのエコーがあって、赤ちゃんの様子を見ることができ、初めて少しほっとしました[わーい(嬉しい顔)]
 前の病院で性別が二転していたので、試しに「性別分かりますか?」と聞いてみたところ、男の子だと言われました。エコーの角度によっては確かに女に見えるけど、シンボルが見えてるから、とお墨付きをもらい、証拠写真までもらってしまいました(^^;。

  生活の安静度を質問してみると、ウォーキングもヨガも運動は一切ダメ、「夫婦生活[ムード]」もダメ、家事や仕事は必要だからしてもいいけど、必要じゃないことは極力しないように、と言われました…。

 最後に、超音波の精密検査を受けるように言われました。40分くらいかけて赤ちゃんと胎盤の様子を精度の良い超音波でみて、画像を撮るとのこと。精密に知ることがいいのか悪いのか…、と少し複雑な気分になりました。

 初診を終えた印象は、私(と赤ちゃん)はきっとサンプルの一つなんだろうなー、ということ。大学病院だから当然なんだけど、元の病院のような「ほんわかマタニティ[かわいい]」な雰囲気はないよな~、と思ったのでした。思い描いていた出産とは違うものになりそう、という印象を一層強くしたのですが、赤ちゃんを無事に産むためだから[exclamation]、と自分に言い聞かせていました。

 

27w3d

 初診で指示された通り、超音波の精密検査を受けました。
 超音波の技師さんには何も質問してはならない、と言われていたので、ただ黙々と画像を撮っていくだけなのかと思いきや、案外色々教えてくださって、じっくり赤ちゃんの様子を見てられるし、思いのほか楽しんでしまいました[るんるん]

 この時初めて赤ちゃんのお顔をはっきり見たのです。宇宙人みたいやなー[たらーっ(汗)]、とは思ったけど、目口鼻がちゃんと分かって、想像していたよりも整っているというか、赤ちゃんっぽいように見えました。

 脳の血流も問題ないし、心臓の4室もきれいに分かれてますねー、と言われました。赤ちゃんには問題なさそう、とのこと[わーい(嬉しい顔)]
 超音波のプロープめがけて赤ちゃんが蹴りをくらわしているらしく、「蹴りますね~」と何回か言われました。。。

 一通り撮影が終わったところで、上級の技師さん?(もしくは新生児が担当の技師さん?)が登場し、画像をチェックしたり追加でいくつか撮影したりしていました。 その方からも、赤ちゃんには今の時点で分かる異常は特になさそう、と言われました[揺れるハート]
 ただ、胎盤がねー…、と言われ、ちょっと子宮口にかかってるように見えるんだよねー、と、前の病院と同様のことを言われました[ふらふら]。次回の診察で詳しい話を聞いてください、と言われ、この日は終了。

 

29w1d

 大学病院で受ける「妊婦健診」の初回の日でした。曜日毎の担当医制をとっている、ということで、この日に診てもらった先生が私の担当医の先生となりました。 

 要領が良く分からなくて、測定や尿検査をするのも右往左往という感じ…。
 担当の先生は女医の先生で、一緒についている先生も女性だったので、初診の時より安心感があったように思います。

 先にお腹の上から超音波。赤ちゃんは推定で1200g。心臓も活発に動いていて、先生に「赤ちゃん、元気[exclamation]」 と言ってもらえました[わーい(嬉しい顔)]。そう言ってもらえるのが、何よりうれしいのです[ぴかぴか(新しい)]

 続いて経膣の超音波。胎盤は子宮口から1.7cmと言われました。初診の時より0.1cm下がってる~?[がく~(落胆した顔)]と思ったんですが、誤差の範囲です、と言われました。。。

 転院前の病院と同様、お腹が大きくなれば胎盤の位置が上がることもありますから、と言われたのですが、上がるかどうかは微妙かも、とも言われてしまいました[ふらふら]

 超音波の精密検査については、検査をした日よりも詳しい話というのは結局なくて、特に問題ない(胎盤の位置を除いて)、ということでした。

 

 この日、初めて助産師さんとお話しする機会があり、健診後に保健指導を受けました。
 転院してきた妊婦で、分娩が他の病院になるかもしれず、帝王切開か普通分娩かも決まっておらず…、みたいな感じで、私も助産師さんも困ってしまう場面が多々ありました[あせあせ(飛び散る汗)]

 初めて渡されたブックレットでお話をされ、それで妊娠後期の保健指導は終わり(=出産前の指導は終わり)。両親学級は全3回を同じ妊娠経過の人と受講することになっていて途中参加は不可(日程的にも無理、と言われました)、立ち会いを希望して、立ち合いが可能な状況だったら、夫婦での個別指導になる、とのこと…。
 私、こんなんで出産に臨んでいいんでしょーか[exclamation&question]、と不安になりました。

 ただ、この時の指導でお腹の張りについてお話があり、休んでも治らない張りだったら連絡してください、と言われていて、それを思い出して病院に連絡でき、結果として早産を免れたのだと思っています…。

 

 ここまでが入院前の記録です。
 もう既に長くなってしまったので、今回はこの辺で…[あせあせ(飛び散る汗)]

 寒い日、雪の日、続いてますのでどうぞお気を付けください~[雪]


退院して、自宅安静ちう。。。 [妊娠後期]

 明けましておめでとうございますm(__)m…って、もう明けて大分経ちますが[あせあせ(飛び散る汗)]
 今年最初の記事になります。

 切迫早産で入院していましたが、年末に退院し、今は自宅で安静生活を送っています。
 入院から自宅安静までを記録したいと思っているのですが、(いつものように)長くなってしまうので[たらーっ(汗)]、入院から退院までのことをまず記録しておこうと思います。


30w3d

 夜間診察で病院に行ったところ、最初に子宮収縮のモニタリングを実施。張りが確認され、内診で子宮口が開いていることを確認、経膣超音波では子宮頚管長が3cmとなっていたため、その場で入院となりました。

 入院が決まった時から、子宮収縮抑制剤(張り止め)の薬が入った点滴を24時間することになりました。ウテメリンという薬で、濃度は確か10%(ブドウ糖液500mlに対して50ml)だったと記憶しています。幸い、比較的低い濃度でOKでした。

 量は1時間に20ml→入院8日目で15ml→10日目で10ml→12日目で内服薬に変更→15日目に退院、となりました。
 自宅に戻ってからも内服薬を続けています。ウテメリン5mgを1日3回です。

 点滴から内服薬に変わる時が一番大変で、体への取り込まれ方が変わったことで張りが頻繁に起きてしまう「張り返し」という症状が起きてしまって、内服薬に変更した日は子宮収縮モニタリングを1日に2回行い、結果を夜勤の先生に見てもらう、ということもありました。点滴に逆戻りすることも想定していたのですが、幸い徐々に張りは落ち着いていって、なんとか年内に退院することが出来ました。

 入院中の安静度はベッドからトイレまでで、シャワーは張りがないことが確認された場合OK、という感じでした。病棟内のデイルームやナースステーションにも行けず、売店はもってのほか…。診察は分娩室で行うのですが、車いすで移動していました。食事もベッドの上で。上げ下げしてもらっていたので、楽でした[わーい(嬉しい顔)]

 病室の中はとても暑くて、大体26℃~28℃くらい、湿度は35%…。世の中はクリスマス寒波がやってきている、ということだったのですが、ここは南半球かい[exclamation&question]、と思うほどの環境でした…。しかも張り止めの薬の副作用として、体がほてる、というのがありまして、ベッドにいると頭まで汗でぐっしょりになっていました。しかもそう頻繁にはシャワーを浴びられず…[もうやだ~(悲しい顔)]。 一人では飲み物が買いに行けないため、飲み水の確保にも気を使いました。

 その他、寝具が全く合わない、とか、点滴がすぐ痛くなる(皮膚への損傷が激しい薬のようです…)、とか、入院中の困りごとは様々あったのですが、完全に安静にできる環境で、定期的に赤ちゃんが元気かどうかの確認があり、カロリーコントロールされた食事のお陰で体重増加が抑えられたり、と、いいことも色々あったのです。

 ただ、入院1週間目くらいに「医局からお手紙です」と言われ、「あなたの入院費用は高額になる恐れがあります[がく~(落胆した顔)]と書かれた、限度額適用認定証についての案内をいただいて、ちょっと青ざめました。
 限度額適用認定証は加入している健康保険から発行してもらう書類で、月額の自己負担額に所得区分に応じた上限が設けられる、というものです(ただし、食事代と差額ベッド代は対象外)。

 早く退院したいと思っていたけど、支払いのことを考えると退院の日が恐ろしい~…[ふらふら]、と思ってしまいました[たらーっ(汗)]

 退院した時にこの書類を提出したのですが、結果として限度額にぎりぎり達しない治療費だったことと、私の場合請求費用の大半が差額ベッド代(2人部屋に入院していました)だったため、そんなに恩恵は受けられませんでした…。
 幸い、加入している医療保険で多少の入院費用の補償ができる、ということです。 

※安静生活のことや入院のことについて、参考にしたサイトがあるのでリンクしておきます。
 「切迫流産・切迫早産でも快適安静生活」 http://seppaku.com/index.html

32w4d

 診察をしてOKなら退院、という日だったのですが、午前中に子宮収縮のモニタリングを行ったらきっかり10分おきに張りがおきて、 雲行きを怪しく感じていました[曇り]

 しかし診察の結果、子宮口も閉じていて子宮頚管長は4cm、切迫の症状はなくなっているので大丈夫でしょう、と言われ、その日の午後に退院OKがでました[わーい(嬉しい顔)]

 退院する時、ナースステーションで、今回は突然の入院でしたがお世話になりました、と挨拶をしたら、「退院する時も突然でしたね」、と言われてしまいました(^^;。

 病院の会計は休日体制に入っていたため後日清算となり、書類を提出しただけで終了。
 (ちなみに、クレジットカードで入院費用の支払いを考えている方、限度額と当月のカード支払い状況を確認しておくのをおススメします)

 2011年が終わるぎりぎり前に退院することが出来ました[ぴかぴか(新しい)]

 次回は退院してからの自宅安静について記録しておきたいと思います。
 寒く乾燥した日が続いているようですので、体調管理にお気をつけください~。 


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